レアジョブに入社してあっという間に4年が経ちました。


こんな感じ
で世の中よりも少しだけ慌ただしい時間を過ごす中で、何度かもらった
なぜレアジョブに入ったのとかというお題を今改めて考える機会があったので文章に
残しておきたいと思います。

 

ちなみに割りとレアジョブ入社が早い方だったのでよく聞かれます。
※似たような問に対してちなみに2年前のぼくはこんな風に考えていたようです

 

まず一言でいうと、
「新しい舞台をつくる」
に真剣に取り組んでいる人と一緒に働いてみたかったことと
実際に自分もその渦中に入って、中心になって動いてみたかったことです

 

なんでこんなことを思ったのかな、というところを掘り下げていくと、
やはり18歳までに生きてきた自分の人生が大きな影響を与えています。

 

まず生い立ちを簡単に説明すると、転校が多く小中学校で5校に通学しました。
しかも関西(自由)と岐阜(保守)という異なる文化圏を行ったり来たりしましたので
幼少期を過ごしました。

 

その結果、自由な関西に適応してのびのびやっていたのに、
岐阜にくるとそれまでに経験していないルールとか基準で締め付けられて
かつ守らないので怒られるという経験を繰り返しました。

 

しかも、面白いやつがなんかのびのびしていない、なんでやねん、
と子供心に思っていました。

それならその基準を変えようと思ったのが、ぼくの中高時代です。

 

それで試みたのが
・中学時代:関西の中学でやっていた文化際を岐阜の今いる中学に導入する
・高校時代:制服自由化運動をやってみる。

 

まあ、結果的には文化際とまではいかなかったけど、卒業式の日に
校門のところなら音楽をやっていいという許可をもらい、みんなでギターを
引いて歌ったのに感動したのを覚えてます。

 

決して勉強一番でも運動一番でもないけど、その瞬間の「サヨナラバス」をひく
彼から輝いていたなと。

 

※ちなみに高校は「桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)の舞台というというか、
作者の出身校なのでおんなじイメージです。
ってか、制服なくなるなんてこの映画的にはありえないですよね。w

 

ただぼくは、残念ながら音痴でした。そう、音楽の補習が中学でも高校でもあるくらいに。
だから、その舞台をつくるってのに邁進した結果、それが好きになったという感じです。だから
「自分がつくった舞台で新たな機会を見つけた人が輝いている瞬間」
というのがぼくの青春時代に全力を投入したことで、その後もそういう挑戦に
やみつきになりました。

(ただ一つだけ誤算だったのは舞台の上の人のほうがモテるということですかね…)

 

あと、ぼく自身が舞台に上がるよりも、
その”企て”をやっていることの方が圧倒的に好きみたいです。
要はビジネス風でいうと企画屋なんですね。

 

更にいうと、
それまでの古い習慣とかルールを打ち破るようなパワフルな新しい舞台をつくって
そこでおもしろおかしくやっている人と一緒にいることでぼくもおもしろおかしい
人生を歩めるんじゃないかなとか、そんな感じです。

 

そんなぼくにとって4年前にあったレアジョブはまさに冒頭に書いたとおり、
「新しい舞台をつくる」会社でした。詳しくは、ここには書きませんが、だから
ここで20代を過ごしてみたいと思ったのだと思います。

 

「新しい舞台をつくる」
「その舞台で新たな機会を見つけた人が輝いている/新たな挑戦をしている」

うん、いいですね。楽しい。

 

そしてもう一つ分かったのはやはりぼくは”企て屋”であり続けたいということです。
理由はやっぱりそれがワクワクするし楽しいからです。

 

意外とシンプルな答えが自分の経験上にあった感じです。

 

お久しぶりのブログでした。