時が経つのは恐ろしく早い。

自分の1日、自分にしかない1日の残りの日数は日毎に減っていく。
ぼくらはその現実からなるべく目をそむけながら、今ある目の前のことに目を向ける。
一方で、将来◯◯を残したいから今頑張っているんだと居酒屋でビールを片手に語ることもある。

だいたいその場にいる誰もが、その将来っていつのことですか、という質問はしないのだが。
ぼくらが向かっているのは将来なのだろうか、それとも今なのだろうか。
判然としない中で自分自身が出した答えは、将来の目標とか夢は今を生きるために創るもの」ということだ。

たぶん、計画通りに将来を見つめる人と比べてちょっと遠回りで脱線もするだろうけど、ちょっとおもしろそうじゃないかと思う。

「将来の目標は今を生きるために創る」プロは写真家ではないかと思う。写真はレンズを通して、今この瞬間にフォーカスしている。だけれどもそれは将来どうありたいかを頭の片隅に置きながら撮るという動作を進めているはずだ。

僕にとって写真とは…撮っても撮っても撮りきれず追いきれない膨大な世界の断片と、抜き差しならない自己の生の時間との交差する一点に、真のリアリティを見つけるための、唯一の手段としてあるのだといえる

(森山大道の言葉)

すごく膨大な世界観と自己の生の一瞬がぶつかり合うところに生きている。
自分にとっても将来や夢はそんな感じで今を生きるためにあるんだと思う。
写真の彼らは元気にしているだろう。
シリアという今を懸命に生きなきゃいけない国にいる、はずだ。
だけれども彼らは将来も一緒に持っているはずだ。
[写真:2005年@シリア ハマ]